朽ちる散る落ちる

森博嗣氏のミステリを読みはじめてます。まだS&Mシリーズの「夏のレプリカ」までですけどw
森氏は題名がいつも面白くて好きです(そこかよ


レトリックを効かすはずの部分をどこまでも冷静に論理的に記述する文体が好きです。
いや、レトリックも非常に魅力的なんですが。


本題。
僕の友人のブログに、恩師が亡くなったという話が載っていた。
世話になった人が世を去ったのに、彼女は通夜にも告別式にもいけなかったらしい。
それ相応の理由もあったのだが、何より、「人が死んでしまったのに泣けもしない醒めた感覚」を味わうのがイヤで、遠慮したのだという。


一応成人するまで生きていれば何回か死別も経験する。
僕が生まれる前から可愛がってくれた伯父が亡くなったことを以前書いたこともある。


みんな泣いていた。亡くなった伯父の妹でもある母。義理の弟である父。
集まった伯父の兄弟姉妹。伯父の家族。泣き崩れていた。
そして、僕だけが泣いていなかった。


すさまじい喪失感に苛まれて、人生の目標だった伯父がいなくなって、それなのに自分が泣かないことに、僕は混乱していた。
以前伯母がなくなったときもそうだった。


皆を気遣って飲物を用意したり、混乱した状態になるほど感情を追い出してしまう傾向にある。
僕は彼女と同じ理由で通夜も葬儀も行っていない。


ただなんとなく、自分がおかしいのではないか、と心配していたが、どうやらほかにも同じような人はいたようで、少し安心した。


人がいなくなるって大変だ。
噛み合っていた歯車が突然なくなるんだから、みんな止まってしまう。
もし僕がいなくなったら、ほんの2・3日でいいから、みんな止まってくれるような、そんな生き方をして行こうと思った。


……うん、別に泣かれなくてもw