私の友人をヨイショしまくるシリーズ・第1回「yuttanpan・R」氏

シリーズものとしてしばらく私の友人でも紹介しようと思う。
多分本人にはスゴク嫌がられそうだ。


友人の一人で、ここにもたまに名前を出しているyuttanpan・R氏のブログを見るにつけ、文章の美しさに感動を覚える。
最も最近感動したのは空の美しさについて彼女が言及した文章だ。


一陣の風に視線を攫われるように見た、駅舎からの夕焼け。
青と朱の入り混じる、透き通るような不思議な色合いに彼女はいたく感動したらしい。
なんでもない日常の景色の一瞬に美しさを見出すことが多い、そんな人だ。


この文章を読んだときに僕は不思議な感慨を抱いた。


――めまぐるしく移り行く周りの状況。自分の感情。
それらを表す複雑怪奇な曲線を、彼女は微分している。


そんな閃きに似た感想がそこにあって、ただただ、そうかそうかとうなづいてしまったのだ。


微分するだけでは変化の割合を表すグラフが得られるだけで、何の感動もそこにはない。
が、グラフ上の座標の1点。


確かに光る、何かしら感情を動かす要素がある。そんな座標を彼女は見逃さない。
なんとも女性らしい、柔らかなアンテナではないか。


そして感じたことをあまりに素直に書くものだから、こちらも驚かされるのだ。
彼女が感じたことそのものを、自分で書いた絵を見せに来る子供のように目の前に置かれる。
これは見事な文章であるとしか言いようがない。


何故なら、彼女が感動したものにいつだって共感せざるを得なくなっている自分がいるからだ。


僕はイメージを抱かせる文章が好きだ。
彼女に「綾名さんも文章がうまい!」と言われて嬉しくなっていたが、どうやらまだまだ修行を積む必要がありそうだ。


勝敗も何もないが、こうした文章の「競い合い」に似た、表現で遊びあうことが大好きだ。
お互いの視点の付け所に「そう来たかー!」と額を打つ。
なんとも知的な気分、優雅な遊びだ。


文章の良さ、自分の良さはまだ見つからない。
この日記で彼女の文体を少し真似してみたが、そのヒントにはならなかったようだ。


理知的で整然とした文章だ、と評された事もあったが、さすがにこれには(;´Д`)となってしまった。


そう、文章を書くことは、自分を微分すること。(微分しすぎ
書かれた本人もコメントは受け付けておりません(鬼