手段と目的の製作論

たまーにデジタルトキワ荘の人材募集掲示板をのぞいてみるのですが、募集されている内容を見るたびに不思議だなぁと思います。というのは、自分以外すべての担当を募集していたりするからです。こういう募集は何をしたいんだろうかとちょっと考えてしまいます。
例えば企画は出来るからシナリオさんと音楽さんと絵描きさんとプログラマを募集する……ということがあるのですが、きっとその人は「私はどれも出来ないから企画はできる」という発想で「企画は出来る」と言っているんだと思います。私自身はぜんぜん企画は出来ませんし、シナリオも相当ヘタなのでアレですが、企画とシナリオってのは出来る出来ないが目に見えにくい担当なので(特に企画)、企画は出来ると言いやすいのかもしれません。
実際の企画って、「こんなの作りたーい」って提案するだけじゃないと思うんですよ。こんなの作りたいから具体的にこうしてああして、これが必要になって、作る順番はこうで……と相当細かいことまで出来なきゃならんと思うのです。だから企画を本当に出来る人って、シナリオなり絵なりの担当を最低ひとつは担当できる勢いでないと勤まらんと思うのです。
なおかつプログラマの基礎知識、音楽の基礎知識、絵の基礎知識……そういったものもすべて網羅していないと「具体的な企画」は立てられません。それに人に頼むとしても、自分が作りたいものを本当にその人が作れるか、見極めが必要です。
そういった意味では企画という担当が一番難しいのでは? と思うんですが、どうなんでしょうか?
人に任せてしまうより、自分で作ったほうが楽しいと思います。


ゲーム作るためにメンバーそろえるというのは、サッカーをやろうと思って頭数をそろえるのとは意味が違うと思うんです。


なんか思うんですよ、スクリプトはある程度十分なレベルまで来たから、シナリオもうちょっとがんばってゲーム作ろうーと考えてますが、ここで努力するから面白いんじゃないかとw
スクリプトとシナリオが出来れば、背景と音楽はフリー素材で何とかなります。キャラはなくてもいいように作ればいい。ひっそりと小規模なゲームとして、フリーで公開してみればいい。
とりあえず何か始めてみれば楽しいと思います。