シリーズ・私のバイト先 〜 個別指導塾編(A君編・その2)

これほどまでに意思表示をしない人間に出会うのは初めてだった。
無口な人間に会ったことは何度かあるが、Yes/Noすら汲み取れない人間には初めて会った。
「分かったかな?」などと聞いても、答えは無感情な「うーん」という言葉である。
自分が説明したことが分かってもらえているかは、彼の反応をみて決定するしかなかった。


幸いと言うか、彼は大変頭がよかった。大抵のことは一度説明すれば理解できた。
僕としては教えるまでが仕事であって、彼の成績が上がりさえすれば文句を言われることは無いはず。なんら問題は生じていなかったのだ。


そう、このまま単調に文法を説明し、演習させ、丸付けをする。よくできたな、と労いの言葉をかける。テストにあわせて教科書の訳を確認する。
確かに点数はそれで取れるだろう。事実彼の成績は上がっていた。問題は無い。どこにも。


……しかし、そこには僕が彼を担当する意味がなんら無い。
誰だって同じことはできる。丸付けマシーンになるのは簡単だ。
彼だってここに、そんな機械を求めてきたのではないだろう。


僕が担当したからには、僕独自の何かが欲しい。僕と彼の間に、信頼を作りたかった。


……そう考えてからは意地だった。
いかに反応が返ってこなくとも、いかにスベろうとも、僕はなりふりなど構わなかった。
話しかけ、答えをもらえるまでつっついた。


「どうなんだ? ん? 分かったのか? この俺に報告しなかった場合は打ち首獄門だ。市中引き回しだ」
「はぁ……」
「大丈夫そうだったら89ページだ。見ているぞ。Aが回答する様子を、コンマ1秒たりとももらさず見ているぞ」
「はぁ……」
「うむ、そんなことやられたら正直ウザいな」
「はぁ……」


やり取り自体は非常に低レベルだ。今、思い出しては赤面する。しかしなりふりなど二の次。何とかして、彼とコミュニケーションをとらなくてはならない。
僕を担当にしてくれたのだから。




そんなやりとりが、2ヶ月は続いた。
僕はいつもどおり彼に聞いた。


「理解できたかな。俺は心配で夜眠れずに朝に眠るぜ」
「………………」
「ん? 分からなかったか?」
「………………いやぁ……」
「……?」
「大丈夫そうです………………」


僕は初めて、彼と会話らしきものをすることができた。(続く)