シリーズ・私のバイト先 〜 個別指導塾編(A君編・その3)
彼が初めて「意味を持った言葉」を僕になげかけてくれてから、少し距離が縮んだ気がした。
それ以降もやはり「うーん」としか言ってくれないのだけど、その言い方にバリエーションが出てきたのだ。
いや、正確にはそのバリエーションに僕が気づき始めたのだろう。
「うーん」「……うーん」のような微妙な反応までの間の差。
「うーん」と言いつつこちらを振り向くかどうか。
首がほんの微妙に縦に揺れるかどうか。
注意して見ないと絶対に気づかないレベルだ。
しかしもはや慌てる必要は無いと思った。
それ以降、彼の反応からYes/No程度なら、不思議と読み取れるようになったからだ。
僕が質問をするときは必ずYes/Noだけで答えられるようにこちらで聞き方を工夫する。
後は彼の反応を一生懸命凝視するだけだ。
そこまでしなければならない人間関係というのは、考えてみれば非常に珍しい。
普通に考えれば、エネルギー消費が激しすぎて彼と係わるのを嫌うだろう。
しかし彼は「僕を選んでくれた」のだ。
僕が彼に歩み寄るべきだと、ずっと考えていた。
見ていてイタいほどのハイテンションな質問に、彼は「うーん」だけで答えていた。
言葉無き交流。少しずつ彼は心を開いてくれていた。
夏期講習も終わり、秋が色めいてきた頃。僕は少し冒険をしてみることにした。
質問の形式をYes/Noでは無くしてみたのだ。
「よし、この文法はもう理解できたな? この例文を訳してみてくれないか」
「…………うーん」
「できそうか?」
「…………その少年は、みんなに好かれている」
「……よし! バッチリ! さすがAだな!!」
担当になってからすでに4ヶ月が経っていた。
彼は僕にだけではなく、「世界」に心を開き始めているような気がした。(続く)