シリーズ・私のバイト先 〜 個別指導塾編(A君編・完結編)
やがて季節は巡っていった。
粉雪がちらつく頃に、僕は一度アルバイトを辞める決心を固めた。
理由は非常に個人的なものであったが、僕はあの時あれ以上仕事を続ける気力が無かった。
退職するのであれば、彼にそれを告げねばならない。
春には引継ぎの講師を探す旨を彼に告げた。
「……あぁー。」
分かりました、と言わんばかりに彼はそう声を発した。
その日の授業は少し会話があったように思う。
……いつの日か。僕は彼に聞いたことがある。
「Aは将来何になりたいんだ?」、と。
そう聞いて、僕たちは申し合わせたように彼の出席カードに目を落とした。
ほんの数センチ四方の、ブレイクダンスを踊るシルエットが描かれたシールが張ってあった。
Aが描いたものだった。
無口でおとなしいA。所属はなんと剣道部。
そして、彼と非対称的にも思えるシールの絵柄。
……彼自身、本当はもっと自分を表現したいのではないだろうか。
「俺は、そういう芸術的な分野も好きだなぁ」
「………………」
「剣道でも、絵でも。ブレイクダンサーでもいいと思う。Aが今好きなこと、やりたいこと。何でもいいと思う」
「………………」
「先生はたまたま植物が好きなんだけどな。俺みたいな男が、花が好きなんだぜ? 何でもいいんだ」
少し、彼の口元が緩んだ気がした。
春が来る頃、彼はいよいよ受験の学年となった。
親友でもあり、信頼できる同僚Mに彼は任せることにした。
「これでお別れだ。1年間、本当にありがとう!」
「………………」
言葉は少なかったけど。
「Aは俺の生徒の中で一番よくできた。教えるのもいろいろ話すのも楽しかったよ」
「………………」
まるで一方通行のようではあったけど。
「これから受験で大変だけど、何かあったらM先生に言え。すぐに飛んでくるぞ」
「………………」
僕たちは、確かに信頼関係を築けたと。
「むしろこれからだからな……ちょっと心配だぞ」
「………………」
僕は、強く、そう感じていた。
「それじゃあ……また会えるといいな」
「………………」
「………………あの」
「ん? どうした?」
「………………ありがとうございました」
差し込む春の陽光の中。
僕たちは、笑いあったのだった。(おわり)