批判

先日あるゲームの情報をまとめたWikiの中にFirst regretsの話題が出ており、興味を持って読んでみた。
そのなかでの「君が見せた笑顔」の評価は「お寒い出来」だそうであるが、これほど批判的に書かれているのに、私は特に何も感じなかった。へぇ、そうか、程度。


やはり一瞬、衝撃を感じた。自分が一生懸命作っているのに、お寒いだなんて……!
もっといろんな意味でのクオリティが高い作品は山ほどあるが、コケにするなんて!


……と思ったのだが、それは違うとすぐに思い直した。


話の中心がそれてしまうが、私は葉鍵が嫌いだ。
理由をよく聞かれるが、あいまいにしか答えられない。
私はなぜかメジャーなものはどこか嫌いになってしまうのだ。
「あいつら、メジャーだから、なんとなく……」という答えになってしまう。


しかし理由みたいなものはあって、例えばそれは信者の存在だ。
もちろん、「狂信的な」信者はごくごくごーーーくわずかであることは知っている。


が、私は狂信的な信者と相対し、傷付けられたことがある。
私たちのパロディ本を、「作品を汚している」とこき下ろした人物……。
確かにそのときの私たちのレベルも低かったのだが。


ともかく、似ているとは感じないだろうか。
「唯一絶対と信ずるもののために」「他を一切認めず」「いたずらにもてあそぶ者はすべて認めずに」「消してしまおうと画策する」。
ああ、中東に似たような集団があったっけ。


ビルに突っ込んだ考えはあまりに自分勝手だと評された。
それは数学的背理法的に考えれば、「唯一絶対」を存在すると仮定した命題が間違っているからだと分かるだろう。
この世は多様性から成り立っているのだ。
故に、「いい評価しかもらわない作品」という命題も偽なのだろう。
だから、(ウチの作品はいいものですという意味ではないが)どんなにいい作品だって貶す人はいる。真面目な批評であれ、根拠の無い揶揄であれ、必ずそういうものが存在する。


そもそもウチに感想を寄せてくれたりする人は「ウチに関心を持っている人」という物理的フィルタがかかっていることを改めて認識させられた次第である。
Webに出れば、そんなフィルタはかからない。何があっても当然なのだ。
そんな意見だって無きゃおかしい。というか、あれば嬉しいものなのだ。何言われようが。批判であれ、反応が嬉しい。



女王様「この犬めッ、お前は私の奴隷だよ、そらそらァッ!」(カカトで踏む
綾名「お、おおおおおおおお!!」
……これは冗談だけど。


しかし、 (ウチに関心を持つ人)/(同人に関心を持つ人)
この分数は、うーむ、とんでもない小さな分数になりそうだ。


まぁ、絵里香は書いてて萌えですよ、と。
今日も頑張ってシナリオ書いてます。