すっかり間が空いたわけですが

何だかすごくいろんなことがあって大変だった週の後半。今日は土曜日。
とあるサイトに影響を受けて、無闇な改行を試験的に避けてみるスタイルをとってみることにしています。自分としてはこちらの方が好きなのだけど、読んでくださる皆さんはどうかと思うとちょっとアレかなぁ。「自分の好きなようなやればいいじゃん」ってのはリアルの世界でのみ通用する話で、ネットは基本的に「見てもらおうとする」場ですから、どうしても相手側を意識しないとその意味が生かされないわけで、はてどうしたものか。
以前私がとっていたような間がいっぱい開いた文章はライトノベルの利点を受け継いだ形です。白い部分がいっぱいあるとギチギチ詰まっている文章に比べて、精神的に読みはじめやすいと思うのです。見た目の文章量が減りますからね。対して、この形態はいかにも古典的小説の面構えで、敷居が高そうだというか、堅そうです。繰り返すようですが、私はこうした固めの形態を好みます。文章に関してだけでなく、何に関しても。


私はどうにもライトノベルって読んでて面白くないんです。面白くない原因は分かっていて、軽すぎる文章が原因でしょう。「涼宮ハルヒ」は最初の奴だけで読むのを止めてしまいました。例えば地の文に台詞が(頻繁に)入ってくるのはおかしい。私は何か威張れるほど読書をしているわけでもありませんし、名作なんてほとんど読んでません。でも思うんですよ。文章ってのは、何かオシャレでなくてはならないと。
比喩やレトリックを適度に使った詩的な表現をして、読者に膝を叩かせてこそ、「文章」だと思います。絵的な情報が伝えられないからこそ工夫して情景が浮かぶように書くのが文章の面白さですし、逆に想像するのが読書の楽しさでしょう。ライトノベルはどうにもそれがない。挿絵は面白さをそぎますし、絵をただそのまま説明しては文章としてレベルが低い気がするのです。ライトノベルの文章はどちらかというとアドベンチャゲーム向きなものでしょう。
ここでは私の「文章」を目的に来る方が多いはずです。だから私は私の文章を書いてお出迎えを……とここまで考えるのですが、やはり「見てもらう相手」を意識したほうがいいのか……? という矛盾螺旋は、どこまで行っても二重螺旋。(意味もなく韻を踏んでみた