一般的に見ればボロボロであること

夏祭りに向けての準備が本当に切羽詰ってまいりまして、試験期間中で講義がないのをいいことに1週間ぐらい大学に行ってません。いや、毎日行かないと一応理系なので卒業研究が進まなくてやばいんですけどね、ええ。もともと遅れ気味の研究なのにサボりまくり。先生は何も言わないのが怖いですw
サボった甲斐もあまり無く順調にやばさゲージが上がっていくのですが、なんというか、自分は好きな作品になりそうです。あまりにも自分向きの作品になってしまっていて、しかも今まであったようなゲームの文章じゃないんで、好き嫌いがすごくはっきり分かれてしまうんだろうなぁ、と思います。
そもそも、「あるサービスについて顧客が満足してくれる割合」ってのはおおよそ良くて6割だそうで、4割は全然ダメだ、というそうです。ここまで私向けの作品になってしまうと恐らく1割、気に入ってくれる人がいるかどうかw
私は人に意見されてしまうのが怖くて仕方が無いので、作品を作っても発表してきませんでした。作ることは楽しいのだけど、誰が何を言うか分からなくて、ましてやネット上での発表なんてもっと何言われるか分かったものじゃない。私が担当する部分を見ればいかに私がビビリか読み取れます。
シナリオは日本語でかかれているので、読者は一応読めれば内容までは気にしないことがある。要は絵よりごまかしが効く。スクリプトやプログラムは、そもそも目に付かない。理解できない人も多い。叩かれにくい担当を選んでいるんですね。


でも最近、自分で自分のシナリオのために絵を描きたいと思って絵を描き始めて、知り合いの絵描きさんに意見をもらっていると、やっぱり他人の目線って必要なんだと思いました。私が描いた絵を絵描きさんに見てもらって、赤を入れてもらう、ということを何回かやっていました。思いくそ赤ペン入って返ってくる絵を見るとやっぱり凹むんですけどw それでも赤ペンが入った部分を十分吟味してもう一枚描いてみると、見違えるのです。そんな経験を通して私は、シナリオもスクリプトも、「赤ペン」が欲しいな、と思えるようになりました。
結局ビビリなのは変わらんのですが、昨日の日記にあるように、私はアイデアのだだ漏れを防ぎたいのです。そのためにはテクニックを磨かないといけない。まずは私はこの作品が好きです、と言えるものを用意しています。皆さん、赤ペンの準備をお願いしますよ。