思い出すと痛みました

とあるところで、中学校時代の同級生と再会しました。最近すっかり見なくなったなどと思っていたら、彼女はすでに地元を離れて自分で生計を立てているということでした。親に一切甘えずに身一つで社会に漕ぎ出せてしまう思い切りの良さは中学校時代と変わっていなかったようです。
クラスの中でも目立たずに一人で本を読んでいました。誰ともつるまなくても自分のことは自分で決めて、一人で行動している彼女に当時の俺様はフォーリンラブだったもんだ。(口調が変わった
飄々として流されない。人の意見は意に介さない。協調性が無いわけではないが、彼女はどこか自立していた印象がありました。そういう印象から私は、彼女は他の女の子よりも全然強い娘だと思ってました。
でも当時の彼女が言うには「みんな面倒くさい」ということでした。自立しているというよりかは、本当は避けていたのかもしれない。人間関係も会話も、みんなイヤだった。文学少女のはやり病、厭世観の諸症状。


私が彼女に接近するときに、周りの人間が面白がって彼女にイタズラしたせいで、私は彼女にある壮大な勘違いをされています。恐らくその誤解はまだ解けていません。今更解いたところでどうなることも期待していませんが、誤解されたままというのは少し残念だな、と思いました。彼女と話す機会がこれからあればよいのですが……。
ともかく今回得た教訓は、「痛むところは機会を失する前に治しておこう」ということですた。