行く雲は絶えずして

雲ー。

あの雲は私がデジカメを構えていた現場の当事者で、その眼下を小田急線が通ったことを知っていた。
……なあんて考えるとちょっと面白い気がします。被写体になった雲はいつか雨になります。地にしみこみ、植物に吸われてその体の一部になるかもしれない。そのまま湧き出て、流れ、生物に飲まれるかもしれない。命が尽きればまたどこかにいく。あの雲は、昔誰かだったのかもしれないのです。
生化学的に言えば、一年前の私は今の私ではないそうです。体中の細胞・分子・原子はほとんど全て、入れ替わっている。もはや違う物質になっているのです。それでも私がまだ私なのは、私という意味を持っているからでしょう。


水分子が意識を持っているなどと考えるのは滑稽ですが、そうであればまた世界はもっと変わったかもしれません。コップいっぱいの水に、地球の歴史を聞くことだってできたのかも知れません。命の鎖をみな意識したかも知れません。
私を構成した経験のある分子は私のことを覚えていてくれるか……ちょっと願ってしまいます。


いつか、空の上でいろんな話を聞きたいから。