日記というもの

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」、と女のふりをして紀貫之(男)は書いたとさ。今の時代、わざわざ日記なんて書くのは女性のほうが多いのじゃないかと思いますがw
そう、最近思うところあって古文や短歌に目を通しています。昔の人は比ゆがうまいなぁーなんて見てて思うのですが、私は基本的に古文が苦手でしたので正確には読めません。文脈を読んで「こんな意味だろう」などと想像しながら読み進めるので、古典文法を解する人からは失笑を買うと思われます。
でもこれが意外と楽しい。百人一首を見ていたりすると、「この人は素直に感動しちゃったんだなぁ」と感情移入しちゃったりです。一瞬の、しかも日常のどうでもいいことを捕まえて、それに何となく感動してしまった自分がいて、何とかその気持ちや感覚を他人に伝えようとした。今に残る古典からは、そういう意思を感じることが出来るのです。
時には1000年以上前に、どこの人とも知れない人が感じた小さな喜びが、現代の私の中に再生された、と考えるとこいつはグレイトだぜ。


国語とか英語って、そういう科目だと思うんです。文法や漢字や単語を覚えることは確かに大事だし、多少の努力をする必要もあります。だけど、それをどう使うか。漢字や単語は元素であり、文法は物理法則です。あとはそれをどう使って化合物を編み出すか。そこに伝えたいものがあるか。あるいは、伝えようと強く念じながら文章を書くか。相手の表現を読み取ったり、自分を表現する方法を知ったりという、そういう科目だと思うんです。
今の学生の皆様にはこの言葉をかみ締めながら目先の暗記に追われないようにして欲しいものである。(口調が偉そうに